在り方はあるぶって成り立つことはない。
私の父は、美味し食べ物と美味しいお酒が大好きで、
「毎日、外食しつこいよ!」と娘の私は反抗したくなるほどの外食好きでした。
自分が食べたいもの、飲みたいもの、会いたい人(店主)
父は、「今」を楽しむことに全力をかけていた人でした。
その頑固さはスーパーサイヤ人もびっくりするレベルでした。
5歳の娘がファミレスにハンバーグを食べに行きたいと泣き叫んでも、絶対に譲らない父。
「今日は、蟹にしよう。絶対、蟹だ。ハンバーグは、明日お母さんに連れてってもらえばいいだろ。」
……
そういう問題じゃないんだよ…お父様。ぶーすか。
「今」を楽しみたい同士の戦いは、娘の連敗が続く限り。ちくしょー。
(のちに、娘は戦闘の気力すらも失うレベルまでに…)
その時私は、一生「今日は何食べたい?」なんて父に聞かれることはないんだと確信しましたし、
結果として、その確信は正しかったのです。
そんな父と過ごしていた私は、必然的にグルメになり、
さらに比較や価値の見極めはここで培ったのだと思います。
父のお気に入りのお店の一つに、串揚げ屋さんがありました。
そのマスターは気さくで、清潔感があり、一貫性を持った、職人というのはこういう人のことを言うんだろうなぁというレベルの方です。
私が初めてそのマスターにお会いしたのは中学生くらいの時だったと思います。
店内はカウンターに5~7人座れて、10人座れるくらいのお座敷が一つ用意されています。
その空間は、マスターが一人一人に、熱々の串揚げを提供できる人数だとおっしゃっていました。
細やかなパン粉が具材に対して、隙間を見せずにぴったりくっついて、
串についた油は、一本一本丁寧に拭き取られ、
サクサク熱々の状態で一本づつ出される串揚げは、
口に入れると「最高」が言えなくなる最高さです。
食材選びから、調理法、細やかな気配りすべてにおいて、洗練されています。
父が亡くなって3年経ったある日、母が「串揚げ屋さん久々に行ってみようか」と言いました。
席の手配をお願いしたく数年ぶりだったので、色々な意味での確認も含め電話したところ、
名前を告げた瞬間にすぐわかって下さったようで、5年ぶりくらいでしたが、
電話の段階でとても嬉しい気持ちになりました。
お店に入ると、「いらっしゃいませ!お久しぶりです!」
そこには、変わらない店内とマスターの姿がありました。
マスターには、3年前に父が亡くなったことや、
初めて来店した時の思い出話などをしながら食事を楽しませて頂きました。
味も、クオリティーも、とっても嬉しい事に、全く変わっておりませんでした。美味しすぎるー。
一通りの食事を済ませ、会計を済ませようと席を立とうとした時、
マスターから何やら白いビニール袋を渡されました。
「これは?」と尋ねると、
「社長には、うちの店がまだまだ駆け出しの頃に本当に助けて頂きました。
これをお仏壇にお供えして頂けないでしょうか。」
いやいや、マスターこの量は、絶対父1人で食べきれないでしょ!
と突っ込みを入れたくなる本数の串揚げが並べられていました。
しかも、父が好きな串揚げばかりが並んでいました。
私たち家族を覚えてくれてただけでも十分うれしかったのですが、
父の好きな食材まで覚えていたとは…これはこれは、もう職人だと二度目のうなずきでした。
父はこのお店に、自らの「選択」で、時間とお金をかけました。
ただそれは、
単純にマスターが好きで会いたいのと、
美味しい料理とお酒を楽しみに行っていた、ただそれだけでした。
人生は全て「選択」です。
今日の朝は、起きてご飯にするのか、あるいはパンにするのか。
父が自ら選んで歩んできた「選択」
その在り方をこんな形で思い知らされるとは娘もびっくりでした。
「歩んだ道筋を残す」=「在り方」を、私も人生の中で「選択」していることに気がつきました。
それは、数年かけて学び言葉にできるようになった今は、
「感謝を忘れずに生きましょう」とか、「笑顔は引き寄せの法則」
なんて生ぬるい抽象論を借りなくとも、
表現は可能なんじゃないかなと思いこの記事を書かせて頂きました。
「人生は選択の連続である」
Life is a series of choices,
シェイクスピア
この言葉の本質的な解釈は人それぞれですが、
生きること自体が「選択」で、「やる」ことと「やらない」こと、
この調和が取れた人が「やり方」ではない、本質の「在り方」を魅せられるのだと思います。
ありがとうございました。
have fun today,
coco
初めまして!
とてもステキなご家族ですね!
無意識に「選択」していることの大切さを改めて実感しました。
私も温かい家庭を作っていきたいですっ!
ゆあさん
コメントありがとうございます。無意識ですが見る角度を変えて物事を解釈することの大切さに気づき、積極的に意識して「選択」するようになりました。ゆあさんの”暖かい家庭”ぜひお聞かせ下さいね。